2017年 11月 05日
ゆうくんのお散歩(431・終)2014.11.5
昨日も書きましたように、5日付けの写真はありません。
いえ、正確には、5日付けの、命あるゆうくんの写真はありません。
昨日投稿した写真の次、「DSC_3772.JPG」というナンバーの写真は、夜、ゆうくんの身体をきれいにしていただくために赴いた病院で、ゆうくんをのせたカートを撮ったものです。
この日の昼頃、突然、跳び起きたゆうくんは、ベッドからかけ出てくると、そのまま意識を失ったそうです。
最後の、そして決定的なてんかんの発作が、ゆうくんを襲ったのでした。
主治医から「万一の時は、手近な病院に急行して蘇生措置を依頼すること」と指示を受けていたママは、その通りにしました。
私は?
私は…
おりませんでした。
早朝から仕事に行っておりました。
前日来の、これまでとは明らかに違うゆうくんの様子に言い知れない不安と胸騒ぎを覚え、休もうかと思いましたが、既に病院の同行(運転はできないので、ついて行くだけなのですが)で何日か休んでおり、それは叶いませんでした。
それに、いくら容態が思わしくないとはいえ、まさかその日のうちに逝ってしまうとは考えようもなく、否、今度もなんとか乗り切ってくれると信じておりました。
ですから、情けないことですが、出かけるとき、ゆうくんがどんな様子だったのか、まったく記憶にありません。さすがに、「朝のお散歩は無理だな」と思ったのでしょうが、ゆうくんが寝ているうちに家を出たと思います。いつものように。
もし、それが今生の別れになるとわかっていれば、たとえ寝姿でも目に焼き付けようとし、起こさぬようにそっと触れたと思いますが、そんな考えは微塵も浮かびませんでした。
たった数千円がままならず、ゆうくんを見送ってあげられませんでした。
誰のせいでもない、自分のせいで。あれから今日で3年、後悔と自責の念は募るばかりです。
あの日はたまたま昼の休憩が遅くなりました。
詰め所の椅子に疲れた身体を沈めるのを待っていたかのように、電話が鳴りました。
画面の発信者はママで、私は何が起きたか悟りました。
それでも、一縷の望みを胸に電話に出ましたが…
私はこみ上げる感情を懸命に押し殺して、もう、ゆうくんを楽にしてあげてほしいと伝え、電話を終えました。
その時が午後2時ちょうど。
目の前の机を両手で思い切り叩いたことは覚えています。
仕事なんか放り出してすぐに帰りたかった…しかし、それは許されることではありませんでした。
しかし、その後は茫然としてうわの空、上長の指示を逸して「やる気ないなら帰れ」と怒鳴られ…
それでも所定の時間までは務め、急いで帰宅しました。すべては夢ならと思いつつ…
しかし、待っていたのは…
431回、3,771枚の写真を日にち順にご紹介してきた「ゆうくんのお散歩」。
今回が最終回です。
あわせて、このブログの更新も、これで終わりにいたします。
昨年、10月後半にうまく写真が投稿できなくなって更新が滞り、それは直ったんですが、ある朝、目覚めたら11月になっていました。
それっきり、パッタリ書けなくなってしまいました。
2日(2010年)にデューク、25日(2013年)にポメ、そして2014年11月5日にゆうくん…なぜかみんな11月に逝ってしまいました。
そのまま時が無為に流れ、再開のタイミングを外し、正直、もうこのまま書けないかと思っておりました。
それがこの夏、カレンダーを見たら8月23日…昨年、中断した日の投稿が、2014年8月23日の夜散歩でした。
「今日しかない」
自らを叱咤して再開しました。
再開にあたっては、写真の日付を、そのまま辿ることにいたしました。
ですから、急激にゆうくんの具合が悪くなった10月後半以降は本当に辛かった。
でも、何としてもゆうくんをゴールさせてあげなくては。
そう思って今日を迎えました。
この後、思い出巡りや、お葬式、火葬に至る写真がたくさんあります。
しかし、それはもう…「ゆうくんのお散歩」ではありません。
当時のブログに一部ご紹介してありますので、よろしければご覧ください。
更新はおしまいにしますが、ブログは閉じません。
訪ねてくださった方が、こんなポメラニアン三兄弟がいたんだなあと想っていただければ…
ありがとうございました。
2014年11月5日付けの写真はありませんが、ゆうくんを迎えた日、初めて三兄弟でお散歩に出た時の写真を彼らの魂に手向け、擱筆いたします。
2014年11月5日午後2時、ゆうくんの3回目の祥月命日に。
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by pomedukeyu
| 2017-11-05 14:00
| ゆうくんのお散歩